キルミーアンソロ「苺とチョコレート」について②

はい。こんにちはさささです。

それでは前回の続きです。

 

ところで皆さん、皆さんにとっては「苺とチョコレート」ってこのキルミーアンソロの漫画がイメージされると思うんですが、ある映画の題名も「苺とチョコレート」なんです。

詳しくはこちらをご覧ください。→https://ja.m.wikipedia.org/wiki/苺とチョコレート

まあこちらについては後でくわしく触れるとして、今回はこの(キルミーアンソロの方の)「苺とチョコレート」の好きなところというか、注目したいところだとか、そんなところを拙筆ながら書いていきたいと思います。

 

1.折部やすなは異常?

さて、折部やすなは私がこの数年愛してやまない人物なんですが(聞いてない)、この「苺とチョコレート」では、やすなはちょっと異常な存在に描かれています(まあ原作でも異常っちゃ異常ですけど)。

交通事故の現場を見てつい不謹慎なのに興奮してしまう。という点ですね。

非日常的な部分に魅力を感じてしまう。

↑これに私も同じだ!って考える人、私も同じです。交通事故は不謹慎だとして、例えば旅行が好きな方とかは、自分が知らない地に向かうと新しい発見があって、ちょっとした冒険だとか考えたりするんじゃないでしょうか。

こういった非日常的な部分に魅力を感じるのは、まあ普通だとは思うんですが、重要なのは交通事故を見てやすながどう思ったかです。

人混み サイレンと悲鳴 興味をもってしまう 血が見えるか 中の人がどうなってしまったのか

 

死ぬ間際ってスローモーションになるって本当?

 

人は殺される時懇願するの? 泣いたりするの?

それともわからないまま絶命するの?

これって「旅行は冒険みたいで興奮する!」とかそういう感覚とはまた違うと思うんですよね。交通事故を見た瞬間、まず上のような感想が出る人、多くはないと思います。もしいきなり友達が事故現場見て「わーちょっと興奮するね!中どうなってるんだろ?」って言ってきたらビビるかちょっと引きませんか?

 ここで、この漫画内では折部やすなは「異常な人間」として描かれていることがわかると思います。

でもこれって、折部やすなの1つの可能性ではあると思うんですよ。

キルミー原作ではキャラクターの設定って最低限の情報しかなくて、やすなとソーニャの出会いも2人の生年月日も年齢も分かりません。だからこそ妄想しがいがあるって話ですけど。それを考えるのならば、折部やすながこういう、端的に言えば「非日常を求めるちょっとおかしな子」だったから今ソーニャちゃんの友達なのかな、っていう提案を、この漫画ははからずともしてくれているような気がするのです。まず殺し屋に暴力を振るわれても友達やってるわけですし。

 

2.ソーニャちゃんにとっての非日常

さて、ここでソーニャちゃんのことについても触れたいと思います。

この漫画内では、やすな時点で描かれてるのでソーニャちゃんは全然喋らないんです。ですからちょっと漫画の考察(?)らしく、コマを参考にしつつ進めていきたいと思います。

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これはソーニャちゃんがやすなの背後から現れた時のシーンですが、妙にジッとやすなを見ているような気がしますね。原作のノリでいくならやすなに話しかけず立ち去るか、もしくは話しかけるのかなーとか私は思ってしまいますが。

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これはやすながソーニャちゃんの方を振り返った部分ですが、分かりやすくソーニャちゃんは太陽に背を向けた形で立っていますね。やすな太陽の光に向けて立っていることになります。光(表の社会で生きる人間)と陰(裏の社会で生きる人間)を象徴しているんでしょうか。ここでソーニャちゃんが目にするのは、交通事故を見て高揚したり疑問を感じたりする表情のやすなではなく、「いつもの」やすなです。

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やすなはこの時点で、「疑問に思っていたこともそれは日常に生きている私にとって非日常だから疑問なだけで、殺し屋のソーニャちゃんから見たら陳腐な質問なんだろうな〜」と考えています。このバカっぽいにへら〜とした表情、このあとは出てきません。それ以外はソーニャちゃんと向かい合って話すシーンが少なく、大体は真顔です。この真顔こそがやすなの「非日常」の顔なんでしょうね。つまり交通事故について考えている時や、ソーニャちゃんについて考えている時です。

じゃあソーニャちゃんの「非日常」の顔ってなんでしょう?

まずはこれらの画像を見てください。

 

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 この表情と

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 この表情です。違いがわかるでしょうか。そう、口元ですね。前の二つはニッコリ笑顔、後の三つはこのいつもの顔、って感じですね。

私はこの漫画を見た時、「ソーニャちゃんがやすなに笑顔でアイスをあげている…!?」ってめっちゃ驚いた思い出があるんですけど、これはちょっとした意味があるんじゃないかな、と考えたんです。

つまり、いつも笑わないソーニャちゃんが笑っているというのはつまり、笑っている場面はソーニャちゃんにとって非日常であることを示しているんじゃないかということです。

じゃあ苺アイス持ってるコマはなんなんだ!と思われるとおもうんですけど、おそらくソーニャちゃんがやすなと会話する(面と向かって話す)時が非日常の部分であるんじゃないかと思いました。

原作ではソーニャちゃんはクールというかツンツンした顔を大体してますけど、この漫画ではあえていつもの表情から離れることで、「日常」と「非日常」を分かりやすく教えてくれているような気がします。

 

 

さて、ちょっと時間が遅いですし、ずいぶん書いたので映画「苺とチョコレート」との比較とかまとめについては③でお話していきたいと思います。拙い文章ですが、ご覧いただきありがとうございました。